人生サバイバル記

生きるのがつらい人の日記?ジャーナル?

一日目 8

自殺未遂(といっても飛び降りては無いけど)をした日から、日に日に「あの時死んでおけばよかった」といった存在否定の感情が高まっていることを痛感している。目に見えた結末を回避するためにはまず一日だけでも生き延びることが大事、と、どこかの団体が言っていた、気がする。だから、生き延びた証拠と明日生きるための手掛かりを探るために、ジャーナル(?)を残すことにする。

 

僕は未成年であるが為に個人で診断が出来ないため断定となるが、発達障害(どちらかと言うとADHD)かもしれない僕は幾度となく「日記」を継続してきて、そして近いうちにそれを諦めることを繰り返してきた。当然、「はてなブログ」もその内の一つに当てはまる。何故継続出来ないのか。目的がなかったからだ。
これには明確な意義、生き残るという大義が存在している。まずはこれを続けることが僕が生きる上での「ステージ1」であると解釈する。

これをやるにあたってルールを定めることにする。
・毎日続けなくてもいい。
・字数の制限は無し、多すぎても少なすぎてもいい。
・なるべく「解決策」を考える。

あくまで生き残るための手段のひとつであることをここに強調する。目標はまずは誕生日(6/5)まで継続することかな。以下、本題

 

予想はしていたけど、やはり今日のロードレース大会は最悪「寄り」の結果だった。最悪「寄り」だからなおの事救えない。今日はどうしようも無い日だった、これから頑張ろう。と、スパッと諦めることが出来ないからだ。といっても、結局辞める、といった、その後のことが怖いのかもしれない、というより恐くそうではあるのだと思う。これもまた一つの理由に過ぎないのであろう。結局いつまで経っても(これは顧問の口癖)、「怖い」ということに集約されるのだと思う。自分の実力と向き合うのが、嫌なことを言われるのが、失敗して変な顔をされるのが、只管に怖いのだ。

 

そういえば今日の正午辺りもそうだった。帰りの駅の改札近くで、僕は白い杖を持った人に遭遇した。その白杖をかつかつといわせた、ギターケースを背負ったサングラスのお兄さんが壁にぶつかりそうなことに気づいた時、僕は「何とか出来ないかな」と思ったと同時に、「でももしかしたら邪魔かもしれない」と瞬間的に思考した。幸いにもそのお兄さんは、僕が尻込みする間に、如何にも優しそうな中年女性に話しかけられ、彼の行先であるホームへ送られていった。僕は、彼らの背中を眺めることしか出来なかった。

 

お兄さんに自分を否定されるのが怖かったことは言うまでもないが、問題はそこでは無い。その怖さを自認しながら、何も出来なかったことだ。
怖いのは当然である。そもそもこの性格は恐らく普遍の物だと僕は知覚している。「お節介かな」と思う、という建前に打ち勝つことが、心理的自己防衛に道徳心で打ち勝つことが出来なかったのが大きい問題だ。

 

恐怖に打ち勝つにはどうすればいいのだろうか。
インターネットには、「根本原因を特定する」と書いてある。実際その通りだと思うが、僕の場合はそれを解決することは難しく思う。
往年に渡る自分の不注意、失敗によって群衆に白い目で見られてきたことがトラウマになっているのだ。
まずはそれの解決方法を考える必要がある、と思う。

 

デビッド・グランド博士が開発した、トラウマを克服する「ブレインスポッティング(bsp)」という方法があるらしい。数分間何も無いところをただ見続ける、というものらしい。ものは試しで帰宅後やってみようと思う。(忘れがちなので今行いたいが、今は喫茶店の中だ)

 

顧問は「問題は必ず解決できる、本題はその為の覚悟を決めれるかどうかだ」と今日言っていた。生憎僕は決める分の「覚悟」すら持ち合わせていないため、まずは「覚悟」を作るところから始めようと思う。そのためには、まずは僕の中のトラウマを緩和することが必要不可欠だ、と思う。

今日は疲れた。まずは今いる喫茶店で雨宿りがてら「海辺のカフカ」を完読して、一日を終えよう。